小沢氏、2002年からウィーン国立歌劇場音楽監督に就任

   日本をはじめ世界各地で「小沢氏、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任」のニュースとして報じられたこの話題ですが、当然のことながら、ここボストンでは「ボストン交響楽団を退任」の見出しだったのが印象的でした。正式発表の6月23日、地元紙ボストン・グローブはこれをオザワの写真つきで一面トップに載せ、その後数日間は関連記事がいくつも登場しました。BSO117年の歴史の中で最長の在任期間を誇る音楽監督の退任、しかも、よりによってその在任25周年記念という晴れのシーズン中の電撃発表、というタイミングもあいまって、この知らせはボストンでも異例のビッグニュースになりました。

しかし、扱いの大きさとはうらはらに、各記事の内容は比較的冷淡なトーンだったように思います。翌24日のグローブ紙社説は"Seiji Ozawa's segue"という題で、オザワが去っても、彼が残していく音楽家達が立派に21世紀のBSOを引き継いでいくだろうという見通しを示しました(BSOの現団員103人のうち実に81人はオザワが選び育てたメンバーです。segueは音楽用語で「中断せずに進め」の意。この題は、あるいは、彼がBSOからウィーンへと「間断なく」鞍替えすることを皮肉ったものでしょうか???)。本文では、オザワは歴代の指揮者とは違って名声欲から多くの海外契約を結び、その結果体調を崩して昨年9月のBSOオープニングコンサートをキャンセルする羽目に陥った(連載第一回参照)とか、彼が1996年に断行したタングルウッド改革は「無用の論争」を引き起こし、音楽面でも彼は必ずしも毎回名演を行ってきたわけではないなどと、この期に及んで言わずもがなの辛口評価が見られます。さらに、彼が家族を日本に住まわせていることがその過密スケジュールに拍車をかけてきた、と書くに至ってはとんだ言いがかりだという気がしますがこれも歴史ある街の歴史あるオーケストラ、はたまた歴史ある新聞社!ゆえのプライドなのか、あくまで「去る者は追わず」という論調が感じられました。個々の音楽関係者たちのコメントも、オザワ時代の終焉を惜しみつつ、BSOにとって久々の変化を歓迎するという、複雑な心境のものが目立ちました。

それだけに、当のオザワが、彼にとってこの決断がいかに難しいものだったか、今なおボストンが彼の中でどれほど大きな場所を占めているかを語った言葉の率直さ、素朴さが際立ちました。彼自身、区切りとなる今シーズンが終わったら辞め時を考えようとひそかに思っていた矢先に、「ウィーンからこのまったく思いがけない申し出が来た」のだそうです。返事をするまでにはたった10日間しかなく、その後のウィーン側の最終決定も非常に早かったため、最も身近なBSO関係者ですら知らされたのは正式発表の2日前、という急展開になりました。オザワは、この退任はこれまでの運営上の衝突や酷評などとはまったく無関係だと強調し、彼にとっての「ドリームチーム」であるBSOを「まさか他のオーケストラのために辞めるつもりはなかった」とも言っています。彼が発表に先立ってBSO団員たちに送った手紙には、「私にとって、偉大なボストン交響楽団とのこの関係は音楽家が望みうる最高価値の芸術的経験だったし、これからもそうだろう」と書かれていました。しかし、それにもかかわらず彼がウィーンへの移籍に踏み切った理由はただ一つ、次の言葉に集約されています。「でも私は、死ぬ前に、もっとたくさんのオペラを振りたいのです」と。

小沢征爾とオペラとは一見意外に思える組合せですが、実は彼は今までもすでにザルツブルグ、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座、メトロポリタンオペラ、日本でオペラを振っており、1980年以降はBSOのレパートリーにもほぼ毎年オペラを加えています。そのほとんどがいわゆる「エキゾチック」路線のマイナー演目ですが、近年、彼がオペラに寄せてきた愛着と熱意は、ボストンの音楽関係者にも広く知られていたようです。評論家のリチャード・ダイヤー氏は、「トスカニーニの昔から、オペラからシンフォニーへという道をたどるのが伝統だった指揮者のキャリアが、最近は逆方向(コンサートホールからオペラハウスへ)になった」として、オザワの転身を時代の流れに位置づけながらも、「オザワが30年前にタングルウッドで振ったモーツァルトの《コシ・ファン・トゥッテ》を聴いた人は、誰も、彼がこれほどのオペラ指揮者になるとは予言できなかった」ともらしています。カラヤン、バーンスタインという今は亡き二人の師にもなじみの深かったウィーン国立歌劇場で、自ら「生涯最後の音楽監督」と呼ぶポストに腰を据えるオザワ。はたしてどんな演目・どんな演奏を見せてくれるのか、今から興味は尽きませんが、最近少々体調不調が目立つ彼だけに、BSOでの残り3シーズンも含めくれぐれも健康に留意して活躍してもらいたいものです。

他方、BSOは、この夏にもオザワの後継者選びのための委員会を発足させると発表しました。なんといっても久々の音楽監督人事とあって、こちらにも大いに関心が集まっています。地元の予想では、すでに長老格のハイティンクとプレヴィン、小沢と同世代のアバドとムーティは、それぞれの理由で対象外。数年来、最有力候補と目されていたサー・サイモン・ラトルは、奇しくもオザワのニュースと同じ日に、ベルリン・フィルの次期首席指揮者になることが決まりました。となると、現実的な候補として挙げられるのはクリストフ・エッシェンバッハ、ジェームズ・レヴァイン、そしてロバート・スパーノあたりのようです。特にスパーノは、BSOから指揮者としてのキャリアを始めたアメリカ人の若手で、まだ30代半ばの成長株。オザワもBSO就任時にはほぼ同じ若さだったことを思えば、十分考えられる人選かもしれません。オザワ退任の第一報直後に感想を求められたスパーノは、「ええとノーコメントです」と言葉をにごし、驚きと戸惑いを隠せない様子でした。彼は今夏のタングルウッド音楽祭でもオペラを含む2公演をまかされており、今後もっとも注目される後任候補となりそうです。その他、インタビューの回答には、ピエール・ブーレーズ、デイビッド・ツィンマン、エサ=ペッカ・サロネンを推す声もありました。来たる世紀明け、アメリカのオーケストラは、BSOの他にもニューヨーク・フィル、フィラデルフィア交響楽団、ミネソタ管弦楽団などで音楽監督の席が空くとか。新世紀の音楽監督争奪戦はかなり激しいものになりそうです。

――さて、ボストンの音楽界、次なる目玉行事は、来たる7月4日独立記念日の野外フリーコンサートです。毎年恒例のこのイベントは、Boston Pops(母体はBSO)とその指揮者キース・ロックハートが担当するのですが、今年だけは、在任25周年記念シーズンのしめくくりとしてオザワが初登場すると予告されていました。それが、今回の思いがけない退任発表を受けて、はからずもこのビッグニュース以来初めて彼がボストン市民の前に姿を現わす機会となります。昨年9月の開幕コンサート(連載第一回)から半年余、今や状況の一転した閉幕コンサートで、オザワはどんな指揮ぶりを見せてくれるでしょうか。ひきつづき注目していきたいと思います。


著者 M.Motoyama