第一回 小澤&BSO 25周年記念'98シーズン 開幕!

 ボストンのクラシック音楽界の中心は、小澤征爾氏率いるBSOことBoston Symphony Orchestraです。今年1998年は、Ozawaの音楽監督就任25周年という記念すべきシーズンで(これは現在、世界の主要オーケストラの中で最長の在任期間だそうです)、9月末〜4月末まで7ヶ月間のプログラムには例年にもまして注目公演が目白押し! 開幕が近づくと、地元有力紙ボストングローブは "SEIJI OZAWA & THE BSO'S 25 YEARS TOGETHER" と題する一大特集記事を組み、紙面には地元企業が所狭しとお祝い広告を載せてお祭り気分を盛り上げました。


 中でも注目を集めたのは、小澤&BSOが25年間の感謝をこめて9月27日の日曜午後に無料の"第九"野外コンサートを行うというニュースでした。独立記念日のボストンポップス・ファイヤーワークスコンサートや夏のタングルウッド音楽祭など、日頃からピクニック気分で楽しめるプロの演奏会が多いボストンならではの企画です。

 これぞ街をあげての祝賀ムードに参加する願ってもないチャンス!とその日を心待ちにしていた矢先、――小澤氏がシーズン初日のオープニングナイト(9月23日)をまさかのキャンセル。聞けば、6月末以来休みなしに世界各地を飛び回っていた彼は、ロシア滞在中に罹ったインフルエンザで高熱に苦しんでいるというのです。続く25・26日の公演にも代役の指揮者が立ち、期待のシーズンは一転、波乱の幕開けとなりました。そしてやってきた野外コンサート当日。

「はたして今日OZAWAは来るのか?」
一抹の不安を抱えながら、私たちは会場となるボストンコモンに向かったのでした。


 ダウンタウンの真ん中に広がるボストンコモン(通称コモン)は、 17世紀の植民地時代に開かれたアメリカ最古の市民公園。夏の間はレモネードを売る屋台が並び、芝生に寝転がって昼寝や読書をする人々や噴水の池で水遊びする子供たちで賑わいます。公園の一角にある観光案内所(地下鉄レッドライン Park Street駅下車)はボストンの主要な観光ポイントを結ぶ路上の赤線 "フリーダムトレイル" の出発点でもあり、旅行者の皆さんも一度は立ち寄る場所でしょう。この日は、朝から真っ青に晴れ上がった絶好のピクニック日和。昔ながらの騎馬警察隊やバグパイプを抱えたストリートプレイヤーの姿も見え、子供たちは色鮮やかな風船を配られてご機嫌です。お昼前に到着した私たちは、さっそく見晴らしのいい木陰に陣取ってランチボックスを広げました。



↑正午にはまだまばらだった広い芝生席が・・・

↓午後4時にはこんないっぱいに埋まりました
 プレコンサートが始まる2時が近づくと、舞台横の巨大スクリーンでOZAWAの歩みをつづったビデオが紹介されました。彼の生い立ち(ピアニストを志していた彼が「ラグビーで指を2本折り指揮者に転向した」というくだりには客席から拍手が起こりました)や、音楽界の長年の友人たちからのメッセージ。そして今や熟練の指揮者となったOzawaがあるインタヴューに答えて語った言葉が印象的でした

「若い頃は、自分には何でもできると思っていた。でも今は違う。代わりに死ぬまでに何ができるかがわかってきたよ。」

 最後に映し出された "Happy Anniversary -- Seiji Ozawa" のテロップと同時に盛大な拍手が湧き上がったのは言うまでもありません。今年のアメリカは、大リーグのマーク・マクガイア選手のシーズン最多本塁打記録更新というニュースにも湧きましたが、何事によらず、偉大な記録を成し遂げた人物には最大級の敬意と熱狂的な賞賛を惜しまないお国柄なのですね。

 開会の前には 米国国歌 "Star-Spangled Banner" 斉唱。国歌行事からプロ野球の試合前まで事あるごとに歌われるこの歌――老いも若きも右手を胸に当てて誇らかに声を合わせる姿にはいつも胸が熱くなります。アメリカに住むならこの歌くらいは覚えなくちゃ…と考えながら、ふと遠い我が母国の国歌&国旗論争に思いを馳せる一瞬です。

 市長挨拶につづき、映画<スターウォーズ>や<E.T.>の作曲家として日本でも有名なジョン・ウィリアムズが祝辞を述べました(彼はボストン・ポップスの名誉指揮者なのです)。
 演奏は Greater Boston Youth Symphony Orchestras が4曲、Tanglewood Festival Chorusがア・カペラの黒人霊歌を3曲(プログラム詳細は下記参照)。その間にも観客はぞくぞく集まり、広い芝生席は見渡すかぎりの人、人、人でぎっしり埋まりました。


 いよいよ本編開始の午後4時。「OZAWAは来ています!」のアナウンスに大歓声が上がりました。しかし、車椅子で会場入りしたマエストロにはまだ40度近い熱があったそうです。この日に寄せる彼の熱意とドクターストップとのぎりぎりの妥協点だったのでしょう、"第九"の前半はBSOの副指揮者フェデリコ・コルテスが振り、第2楽章を終えたところでやっとこの日の主役OZAWAが登場しました。待ちに待った彼の姿に湧く観客たちを静かに制して指揮台に上がったマエストロ……スクリーンに映し出されたその横顔(げっそり痩せて頬骨が突き出したその鬼気迫る表情!)には思わず息を呑みました。演奏が始まると客席のざわめきは嘘のように消えて、皆食い入るように舞台を見つめます。

 小澤氏自ら「家族同様」と呼ぶBSOTanglewood Festival Chorus、そして4人のソリストは皆ボストンを拠点に活躍する歌手たち(特にソプラノの ドミニク・ラベルは、タングルウッド音楽祭にもたびたび登場し、今シーズンのボストンリリックオペラでは《La Traviata(椿姫)》のタイトルロールを演じる美しい歌手です)。まさに "ボストンの音楽家による、ボストン市民のためのボストンの大祝賀演奏会" にふさわしい顔ぶれでした。いつもながら切れのあるOzawaの指揮に自在に寄り添う一期一会の「歓喜の歌」――最後の余韻とともにOzawaがそっと手を下ろした直後の大歓声と拍手、コモン全体が波打つようなスタンディングオベーションの爆発力は凄まじいものでした。一曲を二人の指揮者が振るという前代未聞の事態にくわえ、楽章の途中で拍手が起こるようなハプニングもありましたが、それもこの日ばかりはふだんクラシックに馴染みのない市民までがこぞってコモンに駆けつけたことの証拠。歴史あるこの街に住む者としての一体感と熱い感激に包まれながら、興奮さめやらぬ人々の波に交ざって帰途についたのでした。


 翌日のボストングローブ第一面は、文字通り芝生一面のボストン市民に埋め尽くされたコモンと、OZAWAの記念すべき指揮姿の写真で飾られました。記事によれば、この日コモンに集まった観客の数は約8万人! 地元のクラシックラジオ局では全演奏を中継放送していたそうですから、さらに多くの市民がこのイベントを見守っていたわけですね。また、見事なピンチヒッターぶりでボストンデビューを果たした副指揮者コルテス氏も健闘を称えられました。まだ30代前半、「1930〜40年代の二枚目俳優のような」と称されるこの若いイタリア人指揮者は、小澤氏の不調を受け、ほんの数回のリハーサルを経て緊張の晴れ舞台を迎えるまでの心境を率直に語っていました。「(第九が始まる直前)マエストロはひどく具合が悪そうだった。だけど僕も同じだった……もちろん彼とは違う理由でね」。


――さて、小澤&BSOのメモリアルイヤー '98シーズンはこうして幕を開けました。次回からは、身近な観光情報を交えながら、BSO定期公演を中心とする折々の演奏会レポートをお届けします!


FREE CONCERT ON THE BOSTON COMMON

Celebrating Seiji Ozawa's 25th Anniversary
 
as Music Director of the Boston Symphony Orchestra

Sunday, September 27, 1998

at 2PM
GREATER BOSTON YOUTH SYMPHONY ORCHESTRAS
DAVID COMMANDAY, conductor

VERDI Overture to "The Force of Destiny"
BACH Air from Orchestral Suite No.3
TCHAIKOVSKY Romeo and Juliet
BEETHOVEN Egmont Overture


at 3:15PM
TANGLEWOOD FESTIVAL CHORUS
JOHN OLIVER, conductor

THREE SPIRITUALS
'I got shoes'(arr. Robert Shaw)
'Sometimes I feel like a motherless child'(arr. Robert Shaw)
 with DONNA HEWITT-DIDHAM, mezzo-sopirano
'Ride the chariot'(arr. William Henry Smith)
 with LORENZEE COLE, soprano


at 4PM
BOSTON SYMPHONY ORCHESTRA
FEDERICO CORTESE, SEIJI OZAWA, conductor

BEETHOVEN Symphony No.9

DOMINIQUE LABELLE, soprano
MARY WESTBROOK-GEHA, mezzo-soprano
RICHARD CLEMENT, tenor
ROBERT HONEYSUCKER, bass
TANGLEWOOD FESTIVAL CHORUS, JOHN OLIVER, conductor


著者 本山 真弓

幼時よりピアノを習い、音大進学を志望するも一転、早稲田大学第一文学部哲学科卒。
在学中はピアノサークル早大ショパンの会に所属、第11代幹事長を務める。
東京都立大学人文科学研究科哲学専攻に進み、渡米に伴い現在休学中。
オペラ・オペレッタ訳詞家として、これまでに

オッフェンバック《ホフマン物語》(共訳)
カールマン《マリツァ伯爵令嬢》
ウェーバー《魔弾の射手》
J・シュトラウス二世《王子メトゥザレム》(日本初演)
ヴェルディ《仮面舞踏会》

他を手がけ、都内のアマチュアオペラ団体「ガレリア座」によって上演される。