とくに出典の記述のない記事は、「ハンブルガー・アーベントブラット」紙 www.abendblatt.de からの引用です。

ドイチェ・グラモフォン創立100周年>  Vol.2

 戦後の再スタートは苦労の多い、ゆっくりとしたものでした。ほぼ全ての原盤は爆撃によって破壊されており、その中の残った数少ないものを使っても、レコードをプレスすることは不可能でした。なぜなら材料のシェラックが不足していたからでした。

新しいレーベル「Archievアルヒーフ」が誕生したのは1946年。アルヒーフとはもちろん英語の「アーカイヴ」で、記録保管所とか、古文書庫などの意です。このシリーズによって長く忘れられてきたバロック音楽のレパートリーが再び日の目を見るようになってきたのです。たとえばバッハのオルガン曲の録音で、アルヒーフのもっとも重要な演奏家の一人であるヘルムート・ヴァルヒャは30年の長きにわたってドイチェ・グラモフォンと仕事をしました。

ディートリッヒ・フィッシャー-ディースカウとの仕事は1949年に始まっています。
今われわれが目にする黄色の、バロック風な飾り縁をもったグラモフォンの紋章は1957年に出来た物でした。これは社内では「Tablettタブレット」(盆の意)という愛称で呼ばれているそうです。

50年代にはEPからLPへの技術革新がありました。この頃にはカール・ベームや、カール・リヒターといった懐かしい名前が契約を結び、晩年のフルトヴェングラーも録音を開始しました。
戦後の経済復興の奇跡は日本と軌を同じくするところですが、この波に乗りレコード産業も大きく発展しました。また新しい需要も生まれました。歌劇場ではなく、劇場のお芝居の録音です。1954年に最初の語られる芝居の完全録音ができました。演目は「ファウスト」。デュッセルドルフの劇場での録音でした。

1956年にドイチェ・グラモフォンは本部をハンブルクに移します。その3年後大きな技術的前進がありました。ステレオ録音の登場です。時代はまたその意味するところをもっともよく知っている新しい世代の人間を求めていました。ヘルベルト・フォン・カラヤン。「帝王」がドイチェ・グラモフォンとの契約を更新したのです。カラヤンはもうその当時すでに音楽界に大きな影響力持つ人間で、カラヤンは「録音」の持つ意義をフルに活用し、この時からカラヤンが世を去る30年間に、330曲の録音を成し遂げたのでした。
彼の豪華なサウンドの美学が消費者たちの趣味を形成し、彼は自分が望む物、全てを録音することが出来ました。世界中で、レジの鈴が鳴ると、カラヤンの名が黄色いエチケットの下に印刷されたレコードが売られ、カラヤンの仕事は「価値ある仕事の同義語、ドイツ音楽のメルセデス」と例えられました。
ノーマン・レプレヒトという音楽評論家は、カラヤンの音楽を評して「快適で、整備不要」と言ったといいます。

1989年7月にカラヤンが没するまで、彼だけでドイチェ・グラモフォンの売り上げの3分の1をもっていました。彼はドイチェ・グラモフォンが自分の意に従うことを完璧に信じており、それが当時15歳だったアンネ・ゾフィー・ムッターをひいきにしたり、自分の80歳を祝う記念盤に、妻のエリエッテさんの水彩画を使わせたりということにつながりました。
彼に不可能という文字はなく、彼に逆らうものは誰一人として無事ではすまされなかった。彼にとっては後世に自分の仕事の完璧なドキュメントを残すこと以外には何の興味もなく、それが彼のコンパクト・ディスクやレーザー・ディスクへの強い関心を引き立てたのでした。
1981年に彼がザルツブルクで、驚嘆の声を上げる人々を前にコンパクト・ディスクを紹介したときの彼の言葉は「他の物は全部ガス灯だよ。

そのわずか数カ月後にはドイチェ・グラモフォンから初めてのCDが出されました。もちろんカラヤン&ベルリン・フィルの黄金コンビで、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」が選ばれました。
CDの浸透はめざましく、最初の4年間で1億枚が生産され、これはレコードが40年かかって生産された量でした。

しかし90年代の後半にはカラヤンもバーンスタインもこの世を去り、昔取った杵柄の感のあるドイチェ・グラモフォンも大きくつまずくようになってきました。
もうすでに「ひとつの」メディア企業になったドイチェ・グラモフォンは、今まさに、芸術の理解と、ビジネスの方針はけして計算の成り立つ共通項を持たない、ということを理解しなければならなくなったのです。
かつては、カールハインツ・シュトックハウゼンやハンス・ヴェルナー・ヘンツェのような現代作曲家が、その作品をDGGの録音のによって出版(出盤?)させていた時代もありましたが、音質に関してはほとんど「ひとつの」名となり、購買者にとっては単に「ひとつの」色 -黄色- になったドイチェ・グラモフォンの古きよき時代はもはや完全に過ぎ去ってしまったのです。
原因としては、一流演奏家の報酬の高騰、スターたちの高齢化、計画性のないシリーズ録音などがいわれていますが、価値観が多様化した現代において、数多くの競合会社を相手にビジネスをするのは大変なことです。
そうしたなかで年々より明白になってくるジレンマは、若い世代の音楽家の開拓、育成で、それには時間がかかり、我慢が必要で、何よりもお金がかかる。その一方、すでに名声のある演奏家にスタンダードを録音してもらって世に出す方がよほど金になる。しかし次の世代がなければ深刻な録音素材不足に陥る・・・

ドイチェ・グラモフォンは21世紀に向けて、よりエネルギーを集中する分野の厳選、体力の強化を図っている。


著者 Cantano