タイタニックと、メトロノームと賛美歌

 
音彩館やPreludeの読者のみなさんこんにちは。ここでは音楽関連のニュースまたは話題をお届けすることになっていますが、今回は特別に許可をいただいたので、音楽の話しをまじえながら、映画「タイタニック」のお話をしたいと思います。

 「タイタニック」をまだ見ていない方にはこの文をお読みになる前に、映画をご覧になることをおすすめします。なにやらあまり話題になりすぎるとかえってあまり見る気がしない方などもいらっしゃると思いますが(かくいう私もそう、でも見た)、この映画は本当に細部まで良くこだわりを持って作られており、話しの筋も大事な点を抑えていて、ハリウッド自慢の壮大なスペクタクルばかりに目が行きがちですが、とてもオーソドックスな作りがなされていると思いました。

 さて、タイトルをご覧になって「おや?」と思われるかもしれません。なぜ、メトロノームと賛美歌が関係あるのか・・・。
 メトロノームの話しから始めましょう。実は現在私の住む町、北ドイツのハンブルク州(市)では、世界最大の「タイタニック展」が開かれています。といっても映画とは全く関係なく、最近までに引き上げられた遺品、船の残骸、沈没までの詳細な経過とドキュメントなどを展示しているのです。

 私は映画を見た後数日してから見に行ったのですが、会場は映画の大ヒットのおかげもあって大混雑でした。昨年5月から始まった展示会は、途中5度にわたって会期が延長され、過去ストックホルム、ロンドンで開かれた展示会よりも成功したそうです。来場者のべ80万人というのは、人口180万人のハンブルクでは驚くべき数字です。
 ハンブルクに唯一19世紀の雰囲気を残す港の倉庫街に設置された展示会場には、遠くからでもはっきり分かる、実物大の大きなスクリーンとボイラー室の写真が見え、来場者の目を奪います。


スクリューと人間

ボイラー室と著者

 それを見上げながら会場に入っていくと・・・何やら腹に響く低音が聞こえます。船の動力源と船体の共振音のような、ゴーンゴーン、というやつです。それと・・・それにまじってメトロノームが聞こえるんです。チク、タク、チク、タク・・・この「意味」を皆さんよ〜く考えてみて下さい。

 情景が浮かんできましたか? これほど悪趣味な演出はありません。みると壁にいくつもメトロノームが置いてあって、その下に例えば「1912年4月14日午後9時30分、僚船より氷山の警告入信、しかし視界良好」などと書いてある。そのしかし「予定された時刻」は刻々と刻まれていて、メトロノームはけして遅れることなくその時を目指してリズムを刻んでいく・・・。
 メトロノームを発明したオランダ人達や、今日の形に改良したドイツ人メンツェルだったら、いったいどう思うだろうか? しかしちょっと考えてみただけでも、メトロノームというのは心臓に悪いテクノロジーだということが分かる。いや、何かの決まった音型を練習するためにあえて自分の意志で用いるなら、有効な練習手段になるだろう。しかし、ピアノの教師などに与えられて耳横でカチカチやられようものならたまったものではない。私などはピアノが下手だったから、ずいぶんと冷や汗を流したものだ。それをこんな展示場で耳にしようとは・・・。
 
 いつだったか、ある雑誌の記事の中でポリーニがピアノの上にメトロノームを置いて練習している写真が紹介され、本人のコメントも載っていたのだが、彼はその写真に見覚えが無く、強くメトロノームの使用を否定していた。おそらく「正確な演奏」を「機械的な演奏」と評するような評論家の皮肉な言葉が浮かんだにちがいない。

 タイタニック号が沈む1912年4月14日から15日にかけての詳細な船の足どり、モールス信号の内容などを掲載したパネルの前を歩いているときには、なんとも言えない気持ちになり、足早に次ぎの部屋へと進んだ。
 と、ひとつの水槽だけが置いてある小部屋がある。見学者は少なく、あまり注意を払っていないようだ。なにげなくのぞき込んでみると、クラリネット・・・。水につけたままのクラリネット・・・。よく見つけて引き上げたものだ。

 誰の持ち物だったのだろうと映画や本の内容を思い起こしてみたが、たしかタイタニック号の楽団には、クラリネットはなかったはずだ。しかし彼らの中の一人の持ち物かもしれないし、他の趣味で弾く人の持ち物だったかも知れない。おもわずこれで何が演奏されていたのだろうかと考えてしまった。
 
 その次ぎには、生存者の船室クラス別の一覧表があった。上から順に生存率の高かったクラス、性別が書いてある。やはり一等、二等の女性子供の生存率が高い。乗員のなかで地位の高い者はやはり船とともに沈んでいる人が多い。メイドも何パーセントかは助かっているようだ。下の方までいくとだいぶ生存率がさがってくる。「Musician」!!・・・  0 パーセント。ああやはりそうかという思いがこみ上げてきた。表の一番下に、動力室にいた労働者と共に、ゼロパーセントと記されていた。


 タイタニックが沈む直前まで演奏し続けたという彼らに関心を引かれ、ちょっと調べてみた。
音楽家はイギリス人達で、計8名。


写真左から


Clarke, John Fred コントラバス
Taylor, Percy C. ピアニスト、チェロ
Krins, George ヴィオラ
Hartley, Wallace Henry 楽長、ヴァイオリン
Brailey, W. Theodore ピアニスト
Hume, John Law 第一ヴァイオリン
Woodward, John Wesley チェロ
Bricoux, Roger チェロ ( 写真にはない)


 この音楽家達は常に8人で演奏していたのではなく、ふたつのグループに分かれて演奏していたそうだ。トリオは、レセプションそばにあったア・ラ・カルテ・レストラン(カフェ・パリジャン)で演奏し、他のクインテット(「オーケストラ」として呼ばれている)は一等クラスのラウンジと、入り口付近などで演奏したという。船内には映画でも出てきたように、グランドピアノと、オルガンもあった。
 タイタニック号など、ホワイト・スター・ラインがもっていた客船には、備え付けのソングブックがあり、数100の、軽クラシックとオペラ、一般に人気がある曲、および、バラード、ラグタイムを含んでいた。
 ホワイト・スター・ライン社は彼らを社員として雇用することを避けるため二等乗客として乗船させ、「ミュージシャン」と乗船名簿に記入した彼らは、一枚の団体チケットを共有していたという。
 
 船が沈みゆくとき、彼らは楽長ハートレイ氏の指示によってすこしずつ船体後部へ移動し、演奏を中断しなかったと言われている。しかしこれは、非常に難しい仕事に思える。なぜならもう最後には船の電気が落ち、暗くなって楽譜を読むことができなかっただろうし、大きいコルクの詰まったライフベストを着ていた彼らにとって、ヴァイオリンを弾くことはとても大変だったろう。
 このようにしてそれぞれは最後の時が近づくのを待っていたのだ。


映画「タイタニック」公式サイトへ

 音楽家8人は、全員死んだ。皮肉にも、彼らが乗客だったので、その遺族達はホワイトスター・ライン社からはあらゆる殉職手当を拒まれた。しかし彼らの勇敢な行動に対して英国の音楽家ユニオンは、彼らの遺族のために基金を作ることに協力し、大変親切だったという。
 ハートレイ氏の遺体が発見、引き上げられた時、彼は自分の胸に堅く楽器を抱いたまま凍り付いていた。

 タイタニックの展示をみて、もう一度映画が見たくなり、再度映画館へ足を運んだ。ディカープリオもケイト・ウィンスレットももちろんいいが、圧倒的な後半1時間半には2回目でさえ息をのむほどのショックを受けた。そして音楽家達(ここでは弦楽クインテットだが)が出てきて、一度はみなうろたえてちりぢりになりつつも、ハートレイが最後の曲を弾き始めるとまた集まってきて、なんともいえない表情でまた弓を取る・・・これを見たときやはり涙が出た。

「諸君、今夜君たちと演奏できたことを誇りに思う」 楽長ハートレイ(当時33歳)


 最後に演奏された曲をご存知だろうか? 哀愁漂う、美しいメロディーの曲だ。調べたら、アメリカの賛美歌で、作曲者は「アメリカ賛美歌の父」といわれるLowell Masonローエル・メーソン(1792-1872)、曲名は
「Nearer, my God, to Thee 主よ、みもとに近づかん」
だった。良い曲だ。これを聞くと目頭が熱くなってしまう。

 このタイタニックの多くの伝説のひとつである賛美歌、しかしどうも実話ではないらしい。Ian Whitcombというポピュラー音楽の研究家が、タイタニックの音楽に関してくわしい資料(当時の船上の音楽を再現したCDも)を作っているが、彼の調査と生き残った乗客の証言によれば、ホワイト・スター・ソングブック以外のナンバーをハートレイが使ったことはなく、その賛美歌はもちろんソングブックに載っていない。最後に演奏されたのは、ソングブックに収められている良く知られたバラード「(Song of) Autumn」であった、という。
これもネット上で聞けるのだが、しかしどうにもやはり伝説にはならない、平凡なさびしい曲である。

 この伝説はハートレイが1911年にジャーナリストに対して語ったという話しが元になってできたものらしい。

「人々が突然死に迎えられるとき、いつも私が感じてきたのは、どんなものよりも音楽が彼らを励ますことが出来るということだ 。万が一私の船に事故が起こったとき、私はおそらく全員が私を突き飛ばして逃げていくだろうとわかっている。その時、私は海が私を飲み込むまで演奏し続けるよ。何か快活な音楽をね、もちろん。

 そうだな、君たちの賛美歌はやらないよ。もっとも私はそれらが大好きだがね。私の一番好きな曲は  "Nearer My God To Thee" だ。 でもそれは私の葬式の時まで取っておくよ。」


 詳細な時代考証で数々の賞を総なめにした「タイタニック」の監督ジェームズ・キャメロンが、しかしその話しを知らないはずはない。彼は「Nearer, my God, to Thee」が「白鳥の歌」だったと信じており(または彼の音楽的センスが、映画にこれを使わせたのだろう)、今年1月16日のCNBC-TVのインタヴューで次ぎのように答えている。

「この賛美歌は私にとってよりエモーショナルなものだ。ハートレイの遺体はイギリスへ帰ってきて、埋葬されたが、その時には彼の妹からのリクエストで「Nearer, my God, to Thee」が参列者全員で合唱されたんだ。」

といって、歴史的根拠だけをたよりにこの曲を排除する事を拒否した理由を明らかにした。
 それに対して、前出のホイットコム氏は、

「私はもう多くの観衆があんな安っぽい伝説を簡単に受け入れてしまうのを見るのに飽き飽きした。それはまさに全ての物をセンチメンタルにするだけだ。」

と嘆いている。
 たしかにハートレイ氏の葬儀は事故後約一カ月も経って、多くの人を集めて盛大に行われ(その時にはハートレイ以下音楽家の勇敢な行動がなかば伝説化していたので)たので、その間に人々の間に「白鳥の歌」の話しがすでに広まっていた、と考えることもできよう。
 それにもかかわらずキャメロンの優れたバランス感覚が監督として際立っていたことは明かである。その証拠に多くの人があの場面で涙を禁じ得ないはずだ。
 電灯の落ちた暗い船上で、楽譜も見えず、死は目前にある。果たして上に挙げたようなAutumn云々とかいう平凡な曲をいったい演奏する気になるだろうか? しかし、英国人達がアメリカの一賛美歌をそらで弾けたというのも疑問が残る。

 映画には朝の礼拝のシーンがあったが、あれは英国国教会のやり方なのだろうか? 歌だけ聞いただけでは分からないから、ご存知の方がいたら教えていただきたい。また「Nearer, my God, to Thee」はイギリスの聖歌集にも載っているのだろうか? 事の真相は、みなさんの想像に任せたい。
 この曲自身の美しさもあってか、その後もこの賛美歌はロンドン、アルバート・ホールにおいて500人の音楽家によって、勇敢な音楽家達への音楽の捧げ物として演奏されたという。その時の指揮は、サー・エドワード・エルガーだった。

 ハートレイ役以外の映画の中のメンバーは、現存するスイス・ベルンの楽団「イ・サロニスティ I Salonisti」である。彼らはおかげで一躍有名になり、各地で演奏活動を多くおこなっている。
 下の写真は本物の音楽家グループ、「イ・サロニスティ」の面々。背景はもちろん、あの「階段上の時計」。


I Salonisti
映画「タイタニック」の公式サイト
Mac、Win用の美しいデスクトップピクチャーや、スクリーンセーバー、サウンドファイル、ムービーなどが無料でダウンロードできる。映画の観劇後の記念に。

 キャメロンはまたレトリックを用いてこうも言っている。「ハートレイと彼の楽団員に共通していたもの、それは、「ほとんど=nearly」最後まで弾きつづける、というものではなかったか? -- すばらしき先輩達に、合掌。

URLs

「Nearer, my God, to Thee」楽譜

「Nearer, my God, to Thee」サウンドファイル (WAV)

歴史家の主張する最後の曲 ( au 。ソングブックに114曲もあるd'autumnで始まる曲のうちの一曲)

「タイタニック展」 ドイツ・ハンブルクのページ。遺品や、ドキュメントが見れる。

著者 Cantano