第1回

"Hamburgハンブルク" 〜 街と音楽 1

 ドイツ在住3年半。住んだ街、ブレーメン、シュレースヴィヒ・ホルシュタインそしてハンブルク。専攻、声楽 - これが、いまからドイツのレポートを書く私の「ドイツ歴」です。われわれこちらに来た留学生は困ったもので、新しい環境で少し慣れると、その世界が全部わかってしまったような気になって、「ドイツってさあ・・・」「ドイツ人というものは・・・」などど話したがります。自分の国をやたらけなし、ドイツのことなら何でも知っているように話す人には要注意です。楽しければいいけど。  このページでは、北ドイツを訪れたことのある人にはその思い出に、これからという方には、ちょっとしたご案内に、できるだけ気の利いたお話を連ねていこうと思います。


エルベ川を拡張してできたハンブルクの河川港。
古くから商業都市ハンブルクの繁栄を支えてきたドイツ最大の港。中央に見えるのはこの町のシンボル聖ミヒャエリス会。

 ドイツ人というものは -いきなりやってしまいましたが- ものすごく自分の街に誇りを持っている民族だと思います。ヨーロッパの歴史、文化、芸術の概観を考えるとき、他の国なら、おそらくその首都を知っていれば、十分かもしれません。しかし、ドイツは(それからたぶんイタリアも)そういうわけには行きません。ご存じのように、国土の東西南北あちこちに重要な都市があって、かつ、だいたい南北でカトリック、プロテスタントと宗派が分かれ、大ベルリンが再び誕生しようとしている現在でも、それぞれの都市、州が少しずつ異なる地方自治形態を持ちつつ独自性のある教育を行うなど、郷土意識の強さが感じられます。近代統一国家の成立が遅れた歴史的背景からも、もともと中央集権的な意識が弱い国といえるでしょう。僕は東京出身で、東京で育ったため、ドイツ人たちのこの強い「郷土愛」が、ややもすると自分の街の中に安住しすぎ、「井の中の蛙」を生むような感じがしなくもないのですが、もちろんだからこそ、地方の特色がおもしろく、音楽史上に「北ドイツオルガン楽派」、バロック時代栄華を極めたドレスデンの宮廷オーケストラ、「マンハイム楽派」「ベルリンリート楽派」などといった重要な地方文化が残されたのでしょう。


 ハンブルクについて述べる前に、少しだけほかの北ドイツの街について。


 ハンブルクから西へ120Kmのところにあるヴェーザー川に沿って開けたブレーメン
ブレーメンはドイツでもっとも小さい州で、いまでも「ハンザ自由都市ブレーメン」を名乗る、誇り高い町です。北海側にブレーマーハーフェンというハンブルクに次ぐドイツ第2の外港を持っています。私はドイツに初めてきたときブレーメンに住み、今またブレーメンで勉強しているので、この街にはひときわ思い入れがあるのです。
皆さんはブレーメンから何を思い浮かべますか?「ブレーメンの音楽隊」?、ヴェルダー・ブレーメン(ブンデスリーガの強豪)?、それともベックスビール? シュノーアSchnoorという人がいたら相当の通ですね。昔の町並みを再現した区画で、こじんまりした小物屋や、工芸品点、ギャラリー、レストランなどが集まった美しい一角です。こういうかわいらしいところはハンブルクにはないなあ。この街のドームは戦後再建されたものではなく、奇跡的に戦争の被害を免れたもので、内部のステンドグラス、オルガンなどは一見の価値があります。



ブレーメン市役所前のマルクト広場に立つローラント像。1404年建造。自由と平和の象徴として市民に愛されている。


ブレーメンといえば「音楽隊」。
ベックスビールという人もいるが・・・。
グリム童話ですっかり有名になった。この台座が案外高いので、記念撮影をするときにはアングルにけっこう苦労する。

 一方「ハンザ都市の女王」と言われたリューベックはハンブルクの北東に位置します。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の州都はキールですが、この町は同じくらい有名です。なぜなら、総合大学はキールにありますが、音楽大学はリューベックにあるからです。トーマス・マンの出身地として記憶されている方もいるでしょう。この街は本当に美しい。あの有名なホルステン門や、聖マリア教会、独特な市庁舎、トラーヴェ川。たぶん北ドイツの街としては純粋に一番美しいと思う。昔はリューネブルクで取れた塩を、ここの港から輸出していました。17、18世紀には完全にハンブルクにハンザ都市の代表の座を奪われてしまいましたが、作曲家ブクステフーデの名前と共に音楽的にはけして忘れることの出来ない街です。あのバッハが、ここの演奏会「夕べの音楽Abendmusiken」を聞きにはるばる中部ドイツからやってきて、予定の4倍も長居してしまった話は有名ですね。ヘンデルもバッハの前に訪れています。 ちなみに「ハンザ」とは「Hansハンス」、つまり当時もっともありふれたドイツ男子の名前から来ているそうです。日本語で言ったら「太郎」かしら。なんでハンザ「自由」都市というのかというと、つまり王や、公爵ではなく、市民が町を担っていたからです。政治的には時の神聖ローマ帝国の皇帝から、町の広い自治を認めるという「自由」の証をもらうことになります。ここ北ドイツはもちろんご承知の通りプロテスタント(ドイツ人は自分たちを福音派、もしくはルター派と呼びます)の地域ですが、これらの自由都市があのヨーロッパ史上最悪の「30年戦争」にさほど被害を受けなかったのは、地理的に近いプロテスタントの牙城、強国スウェーデンが地理的に近いことと、自主独立を宣言していたことによります。


かつて「ハンザ同盟の女王」といわれたリューベックの姿。
中央の尖塔はもちろん「聖マリア教会」。北ドイツオルガン楽派のファンにはほとんど伝説的な場所である。

 では、いよいよハンブルクにまいります。私は、留学期間中すでに3回も北ドイツの中で引っ越しました。上に書いた街以外に、キール、リューネブルクにも親しんできましたが、ハンブルクの街の美しさはやはり、ドイツのなかでも上位に位置づけされていいと思います。また始まったかといわれるかもしれませんが、「住めば都」だけで言っているのではありません。もうちょっと言わせてください。ハンブルクは、ベルリンが再び統一される前まで人口180万人をもつドイツ第一の大都市だったのにもかかわらず、町の中心部に大きなアルスター湖を抱えているため、水が豊かで橋が多く(ヴェネツィアよりも多い)、近代的で斬新な建築物が整備された区画に立ち並び、すこし南には穏やかにエルベ川が流れて・・・など、憩いのあるとても落ちつきのある街です。


ハンブルクといえばハンバーガー・・・じゃなくて(でもそもそもここが本場なんですよ!もっともドイツ語ではdeutsches Beefsteakというんですが)5つの主教会。バッハがそのオルガニストの地位に興味を示した聖ヤコービ、その「就職活動」のために2時間にわたる試験演奏をした聖カタリーナ、聖ペトリ、聖ニコライ(戦争で破壊されたまま「警告のモニュメント」として残っているものと、新しく建て替えられたものと2つある)、それと市民に愛称「ミヒェル」で呼ばれる一番大きな聖ミヒャエリス教会。それからカトリックのためには聖マリア教会というドームがあります。見るものの目を奪うのはそれぞれの教会の塔。北ドイツ特有のまっすぐ天にむかって伸びる青銅色の尖塔を持っています。この「青」がすばらしく美しい。この青銅色は教会だけでなく、歴史的な建物共通の色なのです。「ミヒェル」やテレビ塔に登って町全体をみるとこの青がいかに町を美しく飾っているかがわかります。ドイツの教会というと、最近世界の文化遺産に指定されたケルンの大聖堂が有名ですが、われわれのはああいうごちゃごちゃした装飾はいっさいなく、まっすぐ雲を突き刺すように立っているのです。プロテスタントの教会は内装もしごく地味。牧師の着る服も「黒」一色。カトリックの世界とは大きな違いです。


ハンブルクの誇る壮大な市庁舎。
ドイツでもとりわけ大きいこの現役の市庁舎(同時にハンブルク州議会でもある)の中央部尖塔は112メートルある。この見る人を圧倒する黒い外見は、現在修復作業を経て白くなりつつある。

 
この町は中世に発達した「ハンザ同盟」の代表格として発展を続け、現在までドイツ最大の商業都市として知られます。そのためにヨーロッパで(ドイツ内だけではなく!)もっとも豊かな都市なのです。お金持ちで時間を持て余した人が多いためか、演目のレヴェルが高いのか(?)、ハンブルク国立歌劇場の客席稼働率は他の都市のオペラ座のそれを大きく引き離しています。ノイエフローラというミュージカル劇場はドイツ最大規模で、「オペラ座の怪人」は地元ハンブルクの人も驚くほどの連日満員。超ロングランを更新中です。つまり、それだけ旅行者が多いのです。ドイツのテレビドラマではハンブルクはしょっちゅう舞台になります。「レーパーバーン」という『ドイツで一番罪深い通り』といわれる歓楽街もあり、財閥、マスコミ、出版、商業の中心地として題材には事欠かないのでしょう。でも北ドイツ放送はつまらない。いえ、音楽家として見れば。オペラやバレエはまれだし、映画は古い白黒のものばかりだし。


 ハンブルクはもちろん交通の要所でもあります。北欧に行くにはここが基点となりますし、ハンブルク・ベルリン間には現在リニアモーターカーの建設が計画されています。どうでしょうか、一生懸命書いているんですがハンブルクの魅力が少しわかっていただけたでしょうか? もちろん、博物館、美術館のたぐいも充実しています。ミュンヘンには負けるでしょうけど。う〜む競争心が出てきた。この辺でやっぱり自分も自分の住む町を自慢したがる一人なんだと思い直してきました・・・。結局自分のアイデンティティの強化が目的なんですよね、自分の住む環境の質の高さを強調したがるのは。すいません。脱線しないで先に行きます。


ハンブルクの冬の氷上(表情)。
アルスター湖は2年連続で全面凍結し、当局の許可が出た日には50万の人出があったそうだ。

 気候はダメ。「Hamburger Wetter」は曇りと、寒さと、湿気の3拍子で表現できます。これはきついです。本当に。ここの人は、そのせいもあるのかなあ。ちょっとキュール(クール)かも。南ドイツ人とは気質は結構違います。大都市特有の無関心さと、気心が知れ合うまでの堅さは、我々日本人だけでなく他のドイツ人も口をそろえるハンブルク人に多い特徴のようです。もちろん暖かみのある陽気な人もいますよ。うちの大家さんとか・・・。誰も知らないか。一人の意見を鵜呑みにしてはいけません。ハンブルクと大阪とは姉妹都市だから、すこし大阪人の気質を見習うといいかもしれません。ドイツ語がああいう風になったらちょっとこわいけど。その友好関係もあるのか、たくさんの日本企業の駐在員のうち、関西の方が多いような気がします。ハンブルクには3800人(95年12月)を越える日本人がおり、毎年6月に日本人企業がハンブルク市民への感謝の気持ちを込めて開催するアルスター湖の花火大会は、今ではすっかり市民の大切なお祭りになっています。ただ、歴史的建築物がお目当ての人にはこの街は少々物足りないでしょう。戦争がいけないのです、軍港のあったキールとハンブルクは徹底的に爆撃され、古いものはあまり残っていません。日本では考えられないのですが、かつての強制収容所も町中!と郊外にちゃんと残してあります。これもまたわが愛するドイツの負の遺産です。

 話はいきなり飛ぶんですが、私の愛機PowerBookで息抜きしているとき、有名なシミュレーションゲームの「シムシティ」をやっていて、自分の作っている街がどことなくハンブルクに似ていることに気がつきました。「住めば都」とはよく言ったものです。  次回は、実際に皆さんとハンブルクの観光に出てみたいと思います。Bisbald!

Cantano

片野耕喜 プロフィール

ボーイソプラノとして歌の勉強を始め、声楽を遠藤優子に師事。東京学芸大学教育学部音楽科卒、東京芸術大学大学院独唱科修了、ハンブルク・コンセルヴァトリウムを芸術家資格を取って修了、現在ブレーメン芸術大学古楽科に在籍し声楽を専攻。日本各地の他、ドイツ、オーストリア、イギリスでテノールソリストとして演奏する。北ドイツ放送(NDR)合唱団準団員。
バッハ・コレギウム・ジャパン所属。同団体のプロジェクトとしてBISレーベルより、バッハ「ヨハネ受難曲」「カンタータ集」を録音。