第2回

Hamburgハンブルク 〜 街と音楽 2

 こんにちは。今日は実際に皆さんと街へ観光に出て見ようと思います。なるべくよい写真を添えながら歩こうと思いますので、スライドショーでも見るような気持ちでついて来てくださいませ。と、思ったのですが緯度の高いハンブルクは(樺太ぐらいかな)昼間がまだ短いんです。そのうえここの所ずっと曇り。ぼくの恩師夫妻からもらったせっかくのデジカメもなかなか出番がありません。このページ内で『おい、この写真は季節外れじゃないか!』とおっしゃりたいようなきれいな写真は、絵はがきや写真集から撮ったものですのでどうぞご了承ください。

 さて、たいていの旅行者の方はハンブルク中央駅で下車されると思います。『次はハンブルヒ中央駅〜』とアナウンスされてもおどろかないでくださいね。ここの人は"g"が「抜けて」しまうことが多いんです。もちろん『ハンブルク』でもちゃんと通じますからご安心ください。

まず、東口を出ますと、右手にハンブルク美術館(Kunsthalle)が見えます。

写真はコダックDC-20で撮影

外見は大したことはないんですが、所蔵品はなかなかどうして、たいへんりっぱなもの・・・だそうです。カスパール・ダーフィト・フリートリヒの絵画や、ベルトラムの聖壇、彫刻家バールラッハの作品などが人気を集めています。最近、何と倉庫からデューラーの絵が見つかり大騒ぎになりました。いったい今までどういう管理の仕方をしていたんでしょうね? 写真には写っていませんが、今年2月23日から、新館がオープンしています。
 僕は正直いうと絵画とか彫刻にはまったく知識がないので、残念ながら他の美術館、博物館の紹介はしませんが、他の代表的なものを名前だけ挙げておきます。駅の北口、出てすぐのところにある「工芸美術館」。ここにはハンブルクの古楽器も収蔵されています。次に、日本をテーマにした展覧会がたびたび催される「民族博物館」。それから、昔は独立した町だったアルトナにある「アルトナ市美術館」などが有名です。ハンブルク歴史博物館は次回に少し触れます。

 さて、音楽に目を戻します。まず皆さんをお連れしたいのが、聖ヤコービ教会。中央駅からメンケベルク通りを歩いて5分です。雹が降っているなかで撮ったので、ちょっとくらいかなあ。それ!




聖ヤコービ教会

 どうです。え、やっぱり暗い? すみません。今度よい写真を用意しておきます。「美しき5月」をお待ちくださいませ。この教会に据え付けられている北ドイツを代表するアルプ・シュニットガー作のオルガンは、この教会の名前を不動のものにしています。なにせあのバッハが!、この教会のオルガニストに志願したんですぞ。



アルプ・シュニットガー作のオルガン



え? どうせ戦争で破壊されたものを復元したものだろうって? 冗談を言っちゃあいけません。ハンブルク市民が怒りますよ。彼らは戦争中これを担いで「疎開」させたんですから。どうですこの心意気。今度は良い写真です。ではいきますよ。このオルガンが目に入らぬか〜!


 時は1720年、11月。ヨハン・セバスツィアン・バッハがケーテンからやってきた。ベンベンベン(注 三味線のつもり。QuickTime PlugInには対応していません。)。この教会のオルガニストの席が空いたため、試験を受けようと思ったのである。バッハはしかし、23日にはまたケーテンへ戻らなくてはいけないのだが、正式の試験日は11月28日。さあ、どうする、バッハ!。さすがに巨匠は諦めない。市の有力者に頼んで特別に機会をつくってもらったのだ。- 読者の方でこれから留学を考えている人は、ぜひこの話を思い出して欲しい。この国ではとにかく「話してみる」こと。そして、それが案外多くのせっぱつまった局面で通用します。- 試験会場は、オルガン界の重鎮ラインケンがオルガニストを努める聖カタリーナ教会。記録によれば、バッハは、2時間に及ぶ演奏を行い、満場を驚嘆させたという。ラインケンの「十八番」であるコラール「バビロン流れのほとりで」をもとに行った長大な即興演奏には、ラインケン(当時97歳!)もいたく心を動かされ「私はこの技法がとうの昔に死に絶えたと思っていましたが。それがあなたのうちに生き続けているのを今知りました。」と語ったそうです。

 さあ、試験委員の多くはもちろんバッハを採用しようと考えたのですが、ところがケーテンに戻ったバッハからは「お断りします」と言ってきたんです。なんで、どういうこと? 実は、ハンブルクにはどこかの社会の暗黙の了解のような、就任に際しての「お礼」の習慣があったのです。かわいそうなバッハはその4000マルクを払えるはずもなく、断念したという次第。あ〜あ、もしも、と考えるのはけして私だけではないはずです。しかしバッハにくわしい方なら、やっぱりハンブルクに就職しなくてよかったとお考えになるでしょう。なぜなら、富裕な市民階級の発達していたハンブルクは、すでに述べた「慣習」の例からも推測できるように、教会音楽もかなり「俗っぽく」なってしまっていたからです。信仰厚いバッハには、ここの水は合わなかったことでしょう。バッハとハンブルクの関係については、かなり深いものがあります。生涯ドイツを出ることのなかったバッハにとって、15歳の時すでに訪れていたハンブルクは -彼は少し南のリューネブルクで寄宿舎生活を送っていました。- インターナショナルな音楽との接点だったのです。いつか機会があったら、この辺の事情をまた取り上げたいと思います。



 バッハがその多感な高校生くらいの時期2年間を過ごしたリューネブルク。
写真はバッハの(おそらく)当時の師、ゲオルク・ベームのいた聖ヨハネ教会

 結局バッハを迎えることのなかった聖ヤコービ教会では、主任牧師だったノイマイヤー(バッハのカンタータのために彼の多くのテキストを用いた)がとても残念がりました。その年のクリスマスの説教のなかで彼は

「ベツレへムの天使の一人が天から降りてきて、世にも美しい音楽を聴かせてから、さて聖ヤコービ教会のオルガニストになろうと思ったとしても、お金がなければ、再び天へ舞い戻るほかはないだろう」(坂田健一訳)

と語ったそうです。

 聖ヤコービ教会の現在のカントール(教会の音楽監督者)はルドルフ・ケルバー氏。昨年、東京でメサイヤを指揮したのでご記憶の方もいるかもしれない。前任者はヴンダーリッヒ氏で、何度も来日してオルガンを披露したことがあります。このオルガンを弾くのはまさに著名な人ばかりで、レオンハルトやコープマンといった人の連続コンサートのなかに一昨年、わが師のひとり、鈴木雅明氏が日本人としてはじめて選ばれて演奏したときはとてもうれしかったものである。
私自身は今年の12月にクリスマス・オラトリオを歌うことになっています。
考えてみれば、この教会でバッハのこの作品が演奏されるのは「因縁」といえるでしょうね。反対に、バッハがいなかったら、歌を続けていなかった自分がここで歌っていることもおもしろい縁です。
さて次は、聖ペトリ教会が目に入ります。ここも重要な主教会なので足を止めたいのですが、オルガン音楽ばかり紹介するのも気がひけるので深入りしないで先にまいります。ここではハンブルク上空からアルスター湖に向かった眺めをお届けします。右から聖ヤコービ、聖ペトリ、そして市役所です。
 メンケベルク通りをさらに進むと、市役所がその偉容を現します。表現が稚拙ですが、この重厚感あふれるごつい建築、これがまさに「ドイツ」です。1886年から1897年にかけて建築されました。現在改修中なので少し古い絵はがきを使って紹介します。この黒い姿は何と今は白くなりつつあり、一皮むけたというのがぴったりなかんじです。すっかり化粧直しが終わったらまたご紹介しましょう。

 次の写真はこの市役所の地下にあるラーツ・ケラー(無理に訳すと「市役所地下食堂」かな。これでは格好悪いからドイツ語で覚えてください。)です。壁の色の違いにご注目ください。


 ドイツでは市役所の前はほとんど常に広場になっています。ここには市場が出ることも多いのですが、ハンブルクの市役所広場には出ません。ここに立ってぐるっと周りを見渡すと、市役所の向かい側に、あれ、見慣れた国旗。はいそうです、日本国総領事館です。なんてすごい一等地にあるんでしょう。


おや、広場の端っこに誰かが考え事をしながら佇んでいます。

 ハイネと聖ペトリ教会

見てみましょうか? ほほう、ハイネですね。何でこんなところに立っているんでしょう? ハイネはデュッセルドルフ出身ですが、ハンブルクに富裕な資産家の叔父を持っていたので、若いときにしばしここに滞在したことがあるのです。先に引用した「美しき5月の〜」で始まるシューマンの歌曲集で有名な『詩人の恋』はここで書かれ、1827年にここで出版されました。じつはハイネもシューベルトと同じで、今年が生誕200年なんです。出身地のデュッセルドルフでは多くの記念行事が行われています。


それではだいぶお腹も空いてきたでしょうから、先を急ぎましょう。でもその前にちょっと目を運河に移してみてください。何かお気付きになりますか? はいそうです。水位が違うんです。エルベ川とアルスター湖はもちろんつながっているんですが、内アルスター湖は人工湖のためでしょうか、こういう不思議なことになっているんです。船が通るときはちょっとした見物になっています。




 これらの写真の手前がアルスターです。その湖が見えてきました。市の中心部に大きな湖があるというのはなんて素晴らしいんでしょう。水があると気持ちがやすらぎますね。

 もうすぐ4月になると、ここから遊覧船が出て、外アルスターまでのいくつかのツアーを楽しめます。

今日は内アルスターに面したレストラン『アルスター・パヴィリオン』で昼食にしましょう。

僕は、ビールとソーセージに、ポム・フリ(フレンチ・フライ)にします。う〜ん、食生活がドイツ化してしまってるなあ。あなたは?  春が待ち遠しい、ハンブルクでした。


 次回は4月3日のブラームスの100回目の命日に合わせて、ブラームス記念館や、ハンブルク州立歌劇場、そして聖ミヒャエリス教会を訪ねる予定です。

 ハンブルクに本当にいらっしゃる予定の方は、最近「ハンブルク日本人会ホームページ」ができました。
より詳しい観光、生活情報にお役立てください。

Cantano

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片野耕喜 プロフィール

ボーイソプラノとして歌の勉強を始め、声楽を遠藤優子に師事。東京学芸大学教育学部音楽科卒、東京芸術大学大学院独唱科修了、ハンブルク・コンセルヴァトリウムを芸術家資格を取って修了、現在ブレーメン芸術大学古楽科に在籍し声楽を専攻。日本各地の他、ドイツ、オーストリア、イギリスでテノールソリストとして演奏する。北ドイツ放送(NDR)合唱団準団員。バッハ・コレギウム・ジャパン所属。
同団体のプロジェクトとしてBISレーベルより、
バッハ「ヨハネ受難曲」「カンタータ集」を録音。